基和戸/キーワード

暮らしを選び取る

 

重い障がいがある方は自らの生活を決めていくことが無理なのでしょうか。私の経験からすれば、どんな方でも今ある暮らしを選び取っていかれる瞬間があると思います。それは生活の全てでなくても日々の小さな一幕で「私はこうする」という行為に宿ってきます。

 

Oさんは自閉症、知的障がいが併せてある方です。支援学校を卒業されて通所開始当初は、朝の送迎車で到着されても降りることが出来なくてずっと車の中で過ごされていました。3ヶ月程経って車中なら給食を口にされるようになり、次に散歩も試みましたが、今度は道端の草むらに近づけず支援者にしがみついて通り過ぎるといった方でした。そんなOさんが通所開始から数年を経て日中活動には慣れてこられた頃に、ケアホームに入居されることになったのです。心配も一杯でしたが、御家族からの「この子は環境の変化があるとなかなか慣れません。将来のことを考えて、今から環境を整えておきたいのです。よろしくお願いします。」という言葉で踏み切ることになりました。当然、支援者は受け入れに十分な準備を考えて臨みました。具体的には、まずホームに日中に立ち寄りおやつを食べる、次に夕食を食べる、そして入浴まで済ませて帰ると段階を踏みました。担当職員と一緒に過ごすことで笑顔もみられたOさんでした。ところが今日から宿泊となると様子は一変しました。本人は朝まで一睡もされません。寝ないどころか朝まで玄関にたったままで過ごされるような状態でした。家に帰れないと分かると玄関から一歩も動けずに、ただじっと立ったまま朝を迎えるという日が続きました。

やっぱりまだ時期が早かったのかも知れないと周囲が心配していたある日、近所のマーケットでお団子を購入されたOさんが、それを食べるときだけはホームのリビングに入られたのです。嬉しくなった支援者は翌日も一緒にお団子を買いに行きました。好物の甘いものを買いに行くためなら遠出もされるOさん。そのうち街のケーキ屋さんへ、またカラオケや映画館と行き先は増えていき、やがて一週間のスケジュールはOさん自身が絵カードを使って組み立てられるようになりました。そうして出来た月曜日から金曜日までアフターファイブの楽しみにヘルパーを伴って外出されるときの表情は生き生きしていました。気がつけばホームに帰ってくると自室でゆっくり過ごされるようになっていました。そんな様子を傍で見ているとOさん自身が、「週末には帰省するのだけれど、自分で選んだ時間の過ごし方のためにはホームにいた方が都合よいので、序(つい)でに泊まっていく」と言われている気がしたのです。

 

御家族は、我が子の将来のことを思ってケアホームの入居を決断されました。でも本人の意思決定ではなく、とりわけ重度の知的障害があるOさんの場合、納得はおろか、理解も怪しいのが実際の所ではないかと思うのです。ところが日常の小さな出来事である夕方の買い物で自分のおやつは自分で決めるという、ささやかな意思決定が生まれました。そのことが転機となりました。「そこからOさんのOさんらしい暮らしのあり方」と本人の「私はこのケアホームで生活する」という意思が私たちにも伝わってくる瞬間が出来てきたのでした。

この経験から本人の意思決定には、時間が必要だと分かりました。しかも実際に体験してみないと決められません。はじめは毎日買い物に行く予定だったけれど、実は自室で一人になる方がほっとしたなんてことも、数年かかってようやく見えてきたことです。

 

いわゆる行動障害の人たちは、偏った関心やこだわりの行動がみられ、社会生活に生きづらさが大きいといわれます。支援のアプローチとしては本人にとって分かりやすい環境設定などを検討するかも知れません。「スケジュール」や「写真カード」などもその一例です。これは本人の理解を促すアプローチだといえます。しかし対人援助が、本人と支援者の相互関係で成り立つと考えたとき、両者の間には「理解」と「表出」の二つがあるはずです。従って、理解を促すアプローチと併せて大切なのが、表出を受け止めるアプローチだとせねばなりません。これは本人の「思い」を受け止めることにあたります。もちろん分かりにくい表出もあるでしょう。でも現場では細かなサインにも気を配る工夫や努力が重ねられていることと思います。失敗や成功も次なる推測と検証を繰り返して、本人の本当の「思い」が表出されるまで寄り添っていこうとする姿勢。「意思決定支援」とはそんな営みにも見いだすことが出来るのではないでしょうか。

このとき支援者が見立てるその人らしさには、一人では限界もあります。出来るだけ本人を取り巻く関係には、生活支援員以外にも相談支援専門員や出来れば地域の方も加わって様々な立場の視点があった方がよいということにも留意したいです。いろいろな人が「この人はここで暮らすのがどうも一番いいみたいだ」と受けとめられ、また本人も「まわりの人がそう受けとめていて嬉しい」と感じておられる、そんなやり取りは、重い障がいがある方とであっても実に豊かに出来てくるのだと教えられました。