基和戸/キーワード

私たちのコアバリュー④

「親子の関係が円滑になるお手伝い」 メンバーさんとそのご家族にある互いの関係は、年数を経て変化していく。いつまでもその親子の関係が円滑であるように、私たちはそのお手伝いをしていく。

障がいのある方は長い間、無理解と差別ゆえの苦労を強いられてきました。家族もまた周囲から孤立して「親が子を抱え込んで」守らざるを得なかったといえます。そして親が高齢になり、この介護がいよいよ立ちゆかなくなってから施設に預けて離れ離れになってしまう。「親は子を手放す」という言い方をされます。でも、ちょっとした支えがあればどうでしょう。私たちは親が我が子の介助を抱え込まなくて済むように支援を届けたいと願います。また親の負担がついに限界までなってから、離れ離れにならなくてもよいように備えをしたいとも願います。
「抱え込まず、手放さず」
親が高齢になっても、負担あるところを支援することで、親子が一緒に暮らせるよう私たちは働いていきます。そのため社会の側に居場所と安心をつくる。これを私たちの使命としています。

実際のところ、メンバーさんとお父様、お母様の絆はとても強いといつも思わされています。それはメンバーさんがケアホーム(*グループホームのこと)に入居されても同じです。
私たちのホームは親が我が子を「抱え込まず、手放さず」の考え方を大切にしていますから、週のうち何泊していただくかは皆さん違っています。御家庭の事情に合わせて、最初の期間は週に一泊から徐々に増やしていただきます。メンバーさんも納得されて安心して宿泊され、暮らしぶりが本人さんらしくなるまで、何年もかけて段階的に泊数を伸ばしていかれます。
でもやっぱりメンバーさんにとって生まれ育った家は特別のようです。ほとんどの方は週末に親の家に帰られるのを楽しみにされているのです。そのことに最初は自分たちの支援が足りないのかと肩を落としたものです。けれども御家庭が大丈夫なら、いや少々のご負担があっても「帰れる間は帰っていただこう」と考えるようになりました。そこには親子の絆があるからです。
 ある時、Nさんのお母様がおっしゃいました。「こんな子でも毎週帰ってきてくれるので助かります」と。Nさん本人は親の家に帰っても家事など手伝われないだろうし、何故だろうと思いましたが、曰く「私がズボラになってしまう」からとのこと。ズボラとは、怠惰で用事もしないという意味でしょうか。母が一人で暮らしていると何事も面倒になって、食事も冷蔵庫に残っている物で済ませてしまうらしいのです。ところが、Nさんが帰ってくるとなると冷蔵庫がいっぱいになるほど買い物をして待っていると話して下さいました。そして週が明けてNさんがホームに戻っていかれると、また残り物の食材で過ごす日々だとおっしゃったのです。
その話しを聴きながら目に浮かぶのはNさんの姿でした。きっとご実家に帰られると、玄関にポイとカバンを置いてから真っ直ぐに冷蔵庫に向かっていき、ドアを開けて中を覗き込まれているでしょう。
でも、その後ろ姿に台詞をつけるとしたら「何か美味しいものあるかな」ではないと思います。そこは「お袋、ちゃんと食べてるか」のような気がします。。
Nさんは話し言葉を発せられませんが、病気の母を気遣う言葉が目に浮かびました。翌年、お母様は亡くなりました。亡くなる前にNさんは親孝行したと思います。息子として週に一回逢いに行ってやる。母親にとって何よりのことでした。

 人は親から生まれ幼少期は親が育てます。やがて成人になると親元を離れますが、親が年老いると今度は子が親を看ます。年月とともに関係は変化していくのです。例え別々に暮らしてもそれで親子の関係が消えて無くなる訳ではありません。Nさんもホームで生活され、親とは離れて暮らすようになりましたが、親子の絆は最期までありました。母親に自分の姿を見せてやるという子としての、ご本人にしか出来ない役割を立派に果たされたのでした。
幾つになっても親は親、子は子であり、その関係を私たち支援者が代わって出来るなど到底出来ません。私たちが出来るとすれば、その親子の関係を年老いても続く絆を円滑にされていくお手伝いなののだと思います。ただそれだけに過ぎませんが、とっても素敵なことをさせていただける気がします。私たちがこの仕事を通じて生み出している価値があるとすれば、これこそが尊いと信じています。
これからも大切にしていきたいことであります。